不登校から大検・大学トップ卒業へ
〜動き出せば世界は変わる〜


1.中学校時代の苦しい経験・不登校の始まり

私は中学2年生から実質、中学校には登校できませんでした。登校拒否、今でいう不登校です。 しかし私の場合、登校を自ら拒否していましたから、なんとなく今でも登校拒否という言葉がしっくりきます。 そうなった理由は、一言では言えません。 小学生から中学生へ成長する過程で、心身ともにバランスを崩していたことは確かで、朝学校に行く前に腹痛があったり、 我慢して学校に居ても、下校まで頑張ると電池が切れて通学路でしんどくなったりしていました。 登校を明確に拒否した直接的なきっかけとなる出来事はありました。 その日も私は朝からスッキリせず、朝も家の玄関を出てからまたトイレに戻り、定時より数分遅れて校門にたどり着きました。 そこでは、生徒指導の先生が問答無用で指導を行っており、私は自分が遅れた理由を説明しましたが、にべもなく怒られました。 私はむなしいような、くやしいような、とにかく納得できず先生に喰ってかかり反論しました。 そのあとは、先生と私、双方が理性的でない対応をとる事態となり、興奮したその先生は他の先生方に止められ、私も数名の先生に抱えられ、生徒指導室へ・・・という感じでした。 その日以来、「学校には行かん」と親に宣言し「行かんでよろしい」と親も受け入れてくれたという次第です。

2.中学時代の自分

そんなわけで、中学に行かないという決断を下したわけですが、当然、昼間は暇です。 しかし、たまたま悪友がおり、学校を早引きして我が家に遊びに来たりする者もいて、それなりに外にもでました。 その時のマイブームがバス釣りで、しまいにはプール用のおもちゃのゴムボートをため池に浮かべ、ライフジャケットを装着して釣りをするなど、 安全上とんでもなくいけないことですが、パワフルに遊びました。 そう書くと、学校に行かなくても、パワフルかつ個性的に学校に行かない日々を謳歌していた様に感じられるかも知れません。 しかし、実際はそうではなかった。昼間に外を出歩くことは、すごく嫌でした。近所の人や同級生、その保護者の目が異常なまでに気になりました。 また、勉強面の不安も猛烈にありました。勉強をしないと高校に行けないことは分かっていましたが、三年の頃になるとアルファベットも怪しくなり、 何から手をつけて学習したらよいか分からなかった。それこそ、塾に行く友達や、後輩の姿をみると、劣等感と不安感で泣けてきそうでした。 「トンネル」と当時は良く自分の状態を表現していましたが、それ以外の言葉が見当たらないという感じです。ずっと先のほうに光がみえるんです。 ただそれが遠すぎて、それがどれくらい遠いのか、また足元があまりにも暗すぎて怖くて進めない。 そこに自分から入っていったにもかかわらず、その状況を誰かのせいにしてしまう自分の弱さも、分かっていました。 勉強など、その他大勢が当たり前に努力することを自分も同じようにするパワーはありませんでした。 幸いなことは友人や父と話をしたり、釣りに行ったりなど、興味のある事が外向きにあり、そういうパワーはあったということです。 何も悪いことをしているわけではない、と理屈では分かっていましたが、それら外向きの行動は常に罪悪感を伴うモノでした。

3.バイトを始めたこと、トンネルの出口

トンネルの出口。私にはそこにワープする手段がほしかった。努力をして高等学校に行くという発想と根性は、当時の私には無かった。 安易に夜間学校ならば合格できるであろうと受験し、落とされました。当然です。 当時はすでに小学校低学年の学力でしたし、受験態度はいま思うと申し訳ないほど最悪でしたから。 次に出口だと見当をつけたのが、アルバイトでした。歳を偽り、自分に向いていそうなバイトを色々としました。 1年半くらいはそんな生活だったでしょうか。それでも、常に付きまとうのは何にも所属していないという「不安感」。 このまま、アルバイトで一生を終えるわけにいかないことは分かっていましたが、高校にも行けない。 そして、なにより中卒という肩書に耐えて、それ以上に自分を磨くことなど到底私にはできず、学歴のコンプレックスのかたまりでした。 その頃から、「学歴」が必要だ。と強く、強く感じる様になりました。自分に自信をつけたい、そういう思いも芽生えていました。

4.動くこと第1段

当然ですがバイトを選ぶのは常に自分。もっといえば、中学に行かず、現在の状況を作ったのも自分。 勉強を始めねばならん!と思い、これもまた自分で方法を探しました。 いろんな塾の資料を取り寄せたり、両親にお願いして大阪まで一緒に見に行ったり。 実際に入塾したのは、お爺さんが一人でやっている地元の塾でした。 そこに決めた理由は、他に同年代の生徒がいないことが一番の決め手(実際に生徒は全員で4~5人でした)でした。 同級生と自分を比較して落ち込むことを異様に嫌っていました。それともう一つは、一応でも大検向け講座があったということ。 しかし実際はほとんど独学だったと思います。とにかく中学校の基本的な問題集を買いあさり、一からする。 どうしても分からないときは塾で聞くという感じ。今思えば本当に効率の悪い勉強で、時間も恐ろしくかかりました。 その当時は大検が年1回しか実施されておらず、できればその1回で合格したかった。 そうすれば、失った自信を回復できると信じていたので、必死で勉強しました。 一日の寝る時間以外ほとんど勉強という日もありました。 振り返れば、大検の本番に対するプレッシャーも強くありましたが、目的ができてそれに向かう歩みを始めていることに、充実感と安心感を持っていた様に思います。

5.大検合格とその後

大検は8月、猛烈に蒸し暑いなか、桐蔭高校の教室で受験しました。 お歳を召した方も受験されていましたが、あまりの暑さに体調を崩す方もいたように記憶しています。 その時の試験で、なんとか全科目合格することができました。そして、高校に通う同級生よりも数カ月早く大検により高校卒業資格を得ることができました。 「これからは、学歴を心配せず、色んなことにチャレンジできる!」その時強く感じました。 それまでは、どうしても中学卒業という学歴に必要以上にコンプレックスを持っていましたし、事実、専門学校や大学にも中卒では行けません。 「追いついた」という実感も当時の私に勇気を与えてくれました。なにより、自信を取り戻す事が僕の課題だったのです。 「動き出したい意思」とそれを現実化する「学歴(資格)」、そして精神的に支える「自信」これがそろって初めて前を向けたのだと思います。 この、「自信」というものは、人それぞれなんだと思います。僕にとってそれは、学力をつけ、世の中の知識を身につけることだった。 だから、必死に勉強できた。たとえば、「技術を身につける」ことで自信を得る人もいるし、「働いて収入を得る」ことが自信につながる事もあるでしょう。 不登校や引きこもりの人に対し、しばしば「パワーが無い」と言う人がいますが、「動きだしたい意思」が無いのか、それをする「自信」を失っているのか、 より沿ってしっかり見極めなければいけないと思います。自分でも良くわからない、という人も居るんじゃないでしょうか。 私も当時はそうだったかも知れません。「動き出したい意思」が全く無いという人もあまり居ないんじゃないかとも思います。

6.大学受験

大検に合格し、さあ次は大学を目指そう!!そういう意気込みはありましたが、半年以上も勉強ができない時期がやってきました。 理由は、まずは大検合格でホッとしてしまい、怠け心が出だしたこと。そして、大検と大学受験のレベルの差に大きく戸惑ったこと。 父の職業を継ぎたいと思うようになっていた(実際は心のどこかに小さいころからずっとあったのですが)ので、医師になることを志したのですが、 実際は医学部とのレベルの差に愕然とし、どこから勉強していいのやら、とまごまごしていました。 学力的には、高校の教科書を一から勉強しなおす必要がありました。しかも、かなり高いレベルで。 勉強の仕方も本当に悩みました。そしてしばらくして、また予備校のような教室に通い始めました。 そこでは主に数学を教えてもらったんですが、その時の先生がとても冷静で、また親切に数学を教えてくれた。 時にはカリキュラムを無視してまでマンツーマンで、基礎から教えて頂きました。化学や英語も家庭教師の先生に一から鍛えて頂きました。 やはり、医学部入試と言うのは一筋縄ではいかないもので、なかなかしんどかったです。 結局、入試は失敗しました。精神的な強さに自信もなく、医者の道はあきらめました。そこで次に目標になったのが「数学」です。 予備校で教えてくれた数学の先生の印象が強く、かっこよく思いましたし、そのとき数学の奥深さも垣間見てあこがれたのだと思います。

7.数学科入学、大学生活

大学の数学科に入学してからは、正に勉強の日々でした。 自由に学べるという、大学独特の雰囲気も手伝い、それこそ夢中で勉強しました。 バイトやその他の娯楽も、大学に入る前に一通り経験していたので、数学以外は興味が無いという状況でした。 それまでを知る家族や友人からは、「どこにそんな集中力やパワーがあったの?」と、驚かれるくらいでした。 ある意味においては自分自身でも信じられない変容ぶりでした。また、それは私の家族を心から安堵させ、喜ばせる変化でもありました。 「入学式の日の華やかな雰囲気の中で、みんながあなたの入学を歓迎してくれているように思い、涙が出た。」という母の言葉が印象的でした。 大学での生活は、それまでのトンネルを抜け、自分で道を拓けるという実感を伴い、私自身も未来に希望を持つことができました。 結局、大学院に進学するも、数学の道の険しさに挫折、研究というレベルには至らずに中退しました。 しかし、学ぶことの楽しさ、自分の為に努力し勉強する喜びを知れたことは何事にも代えがたい経験であり、 今の私の一生の財産でもあります。実際、今でも機会があれば数学、特に整数の分野を学び直したいという夢もあります。 大学を卒業する時には、学長賞という栄誉もいただきました。 当然、私自身の誇りにもなりましたが、それまで散々心配をかけて、傷つけていた両親・家族が誇りに思ってくれて、 本当に喜んでくれたことが、なにより一番嬉しかったことです。 私のように、ある意味では社会の枠組みの基本形からはみ出してしまった者にとって、家族が支えて、理解しようとより沿ってくれたこと、 そのおかげで自分が動き出せたことを強く実感しました。自分の人生は、人との絆を大切にすること、 その中で自分も生かされていることを常に学んでいたのだと思っています。

8.教員としての生活とABEL開校

大学院を中退後は、中学校の教員として数学を指導してきました。 私は、自分の経験から「学ぶことの楽しさを伝えたい」という思いを強く持って仕事をしてきたつもりです。 勉強が好きな生徒には、時には高校や大学のレベルの数学の話をしました。興味がある生徒の知識欲に答え、 話をすることは、私にとり本当に充実感のある事でした。 そんな話をした生徒の中には、高校卒業後に理系の大学に進学した人も何人かいます。 そのうちの1人と、何かの機会に会うことがあり、 その時に彼女が「先生と数学の話をしたから、工学部へ行くきっかけになったんや!数学科には行けんかったけど。」と話してくれました。 それはもう、本当に嬉しかった。また、勉強が苦手な生徒には、少なくとも「数学の授業は楽しい」と言わそうと思っていました。 そのためには、基礎的な事からきちんと積み上げてほしいと、部活動の合間の少ない時間で、放課後に補習をしたりしました。 しかし、学校と言う枠組みの中に納まりきらない生徒もたくさんいました。私のように「中学校に行かない」選択をする生徒。 「行きたくとも行けない生徒」。「保健室でなら勉強できる生徒」。様々です。 学校の教員としての基本的な立場は「みんなと同じように教室で授業を受けられるように導く」事であり、保健室や別室で授業を受ける生徒はある意味で特別扱いです。 それは、ある意味で正しい。私は、不登校の生徒さんを抱える担任の先生の努力を、心配を知っています。 学校の事情も。そしてもちろん、普通に教室で授業を受けている生徒だって、何かを辛抱しながら、 教室にいるんですから。だけども、不登校や別室に登校する生徒も、何も怠けているのではないということも、経験的に事実だと思っています。 その生徒だけの特別扱いが必要だと強く思います。「白クマがハワイで生きる必要はない。 生きやすい場所を個々が求めることは、誤りではない。」私が好きな小説家の言葉です。 そのような、学校現場からはみ出している生徒の、学びたい意思に寄り沿い、「自信」をつけてほしい。 興味のある勉強をして、動き出すきっかけになる居場所を作りたい。それを強く感じていました。 また、前述の数学な得意な人の例も、ある意味においては学校の枠からはみ出している部分があると思います。 彼らは、「学校の授業は物足りない」という意思表示を強く示します。 教員はとかく「塾で技術ばかり教わって、本質を理解しないまま、学校の授業を軽視する」と考えがちですが、私はその考えに違和感を持っていました。 「学校の授業で本質を指導できているのか」という疑問。 教室には様々な学力の生徒がおり、指導する内容も決まっている中、必ずしも全体に満足のいく指導はできないと思うのです。 ならば、勉強の本質を指導する、考える力を各個人の学力に沿う形できちんと身につけさせる、学問の背景を指導し、説明力をつける、 そんな教室を模索したいと考えるようになりました。 そのような私の考えに賛同して、共同で起業してくれる友人がいたことも、私がABELを開校することができた大きな原動力となりました。 単に、技術的な指導で、「テストの点数を上げることが目標」という勉強屋さんではない。 それを当り前の前提として、さらにその先の、具体的には「学ぶ喜び」を知り「学び続けること」を当り前にできるような生徒を育てること。 これが今まで様々な紆余曲折を経た私の教育の理念・目標です。 そして同時に、学校の枠から色々な形ではみ出す生徒さん達の学びの場、動き出せば自分を取り巻く風景が変わることを教え、 社会と繋がることのできる場所になりたい。そう願っています。

2012年5月

総合進学塾ABEL
代表 徳田洋平
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